|

夢の道、カラコルム・ハイウェイ
パキスタン北部から「カラコルム・ハイウェイ」という道路が、国境にある4,730メートルの峠を通り、中国まで続いている。全長1,300Km、ヒマラヤ・ヒンズークシ・カラコルムといった山脈を縫う険しい山岳道路で、7,000メートルを越すピークや巨大な氷河を横目に、長寿の里(「風の谷のナウシカ」の舞台になったところ)や谷ごとに民族の異なる村々を走る、ぜいたく過ぎる、まさに「夢の道」なのである。
パキスタンに入国して間もなく、「パキ腹」といわれ恐れられている、細菌性の超下痢と高熱に見舞われダウン。夢の道を目前に、進めない状況が続いた。折悪く、南部はモンスーンの季節に入ってしまい、中国への国境越えの時期まで危ぶまれたので、列車で行程を進める。
9月10日、予定よりだいぶ遅れてカラコルム・ハイウェイをスタート。寄り道しながら走ったパキスタン北部の山あいは、期待を裏切らなかった。穏やかな人たちに、独特の文化。変化に富んだ圧倒的な景観は言うまでもなく、戸惑うほど青い空に色とりどりの果物が映える。トレッキングに行き、雲の上に出た。自分の身体が昇華していきそうな景色に出会った。氷河を目の前にキャンプし、静寂の中に氷河に亀裂が入る音を聞いた。
10月に入り、フンザのポプラはいよいよ黄色く、アプリコットの葉は赤くなった。果物の季節は終わり、じゃがいもの収穫だけが残った。深い雲に包まれる度に、山は雪化粧するようになる。
ここで、20カ月前にモロッコで出会った、同じく自転車で世界一周中の待井氏との再会を果たした。(写真左) 国境のウンジェラーブ峠を越えたのは、10月27日。一面雪でおおわれた5,000メートル近い峠には、僕以外誰もいなかった。耳を切る風の音が止むと、静けさに押しつぶされそうになる。
<<パキスタンで困ったワースト2>>
1位 用を足した後、すっかり左手でオシリを洗う習慣がついてしまい、外国人の使うホテルや、日本人のお宅で「紙」を使用しなくてはならない時、どうも具合が悪かった。
2位 3月のトルコ以来ずっとイスラム圏を走っているので、頭の中がすっかりムスリム化し、ツーリストの多いフンザでTシャツ姿の女性を見てドキドキする。ヒゲを生やしていると一人前のムスリムのはずなのだが、どうもいけない。

「世界の屋根」チベット高原からヒマラヤを越える
カシュガルからイラス山を経由して、ネパール入りを計画していた。カイラスはチベット仏教を含む3つの宗教の最高の聖地。あまりの辺境にあるため、また冬季は雪で閉ざされるため、簡単に訪れることはできない。検討の結果、僕の場合も時期が遅過ぎ、断念せざるを得なかった。やむなくチベット自治区のラサまで飛んで、そこからネパールを目指すことに。空路ではいえ、チベットへの入域が制限されていたり、合計60Kgにもなる自転車と装備の空輸問題など、ラサまでの道のりは遠かった。そして今なおカイラスは、僕にとっての憧れの地となったままでいる。
富士山とほぼ同じ標高にある聖地ラサで一番印象に残っているのは、その中心の最も聖なる寺、大昭寺(写真左下)。チベット人なら一生に一度は、どんなに遠くからでも巡礼したいと願う寺だ。ここで、信者たちは全身全霊を仏の前に投げ出し帰依を表す「五体投地」を繰り返す。両ひざを縛って祈る信者もおり、つらく厳しそうなイメージがあるが、彼らの表情は重いのほか幸せそうで、楽しそうにすら見えるのに驚く。また、毎晩行われる読経に同席させてもらった。呪文のような日、歌のような日など、読経にバリエーションがあり興味深い。しかし最も興味を惹いたのは、若い僧たちが読経終了直後、余韻も何もなく「あ〜終わった、終わった」とバタバタ帰る姿だった。仲間を叩いたり、声を上げて笑ったりする小僧もいる。堅苦しい雰囲気はないのだ。
ラサ滞在中、それは、大量の血尿と水下痢で始まった。小便の我慢しずぎ(夜は寒くテントの外に出たくない)と、心身共に疲労がたまっていたのが原因で、膀胱炎になってしまったのだ。1週間しても血尿は止まらず、きちんとした医療設備もなかったため、一時は走行をあきらめて上海かバンコクまで飛んで治療せざるを得ないかと思われた。
中国と尼泊 (中国語で「ネパール」)を結ぶ道路は、それぞれの頭文字をとって「中尼公路」と名付けられている。5,000メートル以上の峠を3つ越し、ヒマラヤ山脈を南に縦断するハードなルートだ。全行程約1,000Kmのうちほとんどが未舗装な上に一車線で、崖崩れや雪崩が頻繁に起こる。
午後になると、乾いた茶色の大地に毎日向かい風が吹いた。砂埃がひどく、砂嵐の時はマスクの中まで砂が入り込んだ。ヒマラヤにさしかかると、辺りは雪で真っ白になった。10メートルはある雪壁の間や、雪と氷の上を走った。晴れが多く、空はコバルトブルー。冬のチベットは、地面の茶色と雪の白、そして空の青しかなかった。
ヒマラヤのピークと、白い大地を上り続ける一本の道を目の前にペダルをこいだ。いや、正確には自転車を押した。このまま行くと天まで昇ってしまうんじゃないか・・・と、そんな錯覚さえ起こさせる。それは今までで一番感動的な時間だった。やればできるんだな、本当に起こるんだな、と改めて実感する。そしてすべての物が愛おしく感じる、一人でいるけど一人じゃないという感覚があった。
標高5,100メートルの最後の峠を越え、わずか100Kmで1,500メートルのネパール国境まで下る。空気はぐっと重たくなり、途中から緑も見え始め、この世にはさまざまな色、音、そして匂いがあったのだと思い出す。ラサを発ってから、1カ月が過ぎていた。
国境を越えた翌日の1月14日、首都カトマンズに着いた。チベット走行中は「あれが欲しい、こんなことがしたい」と思っていたが、いざそれが手に入る段階になると、そんなことを思っていた状況に戻りたくなる。が、同時に頭の中はやっぱり、しばらく口にしていなかった日本食やピザのことで一杯になり、聖地を走ってきたわりには相変わらず単純で俗っぽい自分なのであった。
<<チベット走行中マイッタベスト3>>
1位 チベット人の家で、主食のツァンバ(麦こがし粉をバター茶で練ったもの)がなかなか飲み込めず、目を白黒させた
2位 1カ月に一度のシャワー(乾燥しているので大丈夫。・・・と思うのは僕だけ?)
3位 番犬のデカさ・数・どう猛さ。護身用「犬棒」を作って携帯した

最近の心穏やかでいられない日本の不景気なニュースを耳にする度、改めて自分のいる恵まれた環境を最大限に生きようと思います。あらゆる出会いを大切にして、チャンスをつかみ、可能性を生かしたいと。帰国するまでに、この混沌とした世の中で、自分の取るべき道のようなものが見えてくれば、と思っています。
4年3カ月計画で走り出した「自転車世界一周」は、早くも折り返し地点を過ぎています。お蔭様で、ずっと夢夢見ていたカラコルム・ハイウェイと中尼公路は無事走り切ることができました。道中は小さなトラブルの連続でしたが、幸い大きな事故・災難はありません。日本からの継続的なご協力や温かい応援はいうまでも無く、旅先で出会う人たちの親切に助けられ、元気に旅を続けています。
今後は、東南アジアと南北アメリカを走り、1999年12月に最終帰国の予定です。もしよろしければ、そちらの近況もお知らせ下さい。また世界のどこからか、お便り致します。
草々
1998年2月5日
ネパール・カトマンズにて 株式会社ミキハウス 坂本達
|