読者の方から感想文をいただきました。

拝啓 達さん、

先日メールを頂き、どうにもこうにもたまらなくなって、恥ずかしながら岡山の実家に頼んで達さんの本を贈ってもらいました。今日午後に届いたのですが、一気に3度も読んでしまいました。私は達さんのように世界を旅してきたわけではありませんが、『生かされている』という感覚と、人間の善意こそが心の扉を開く、そして自らが幸せになる唯一の方法であることを、同じように信じて生きて居ります。でも、現実の社会の中でそのことを毎日認識することが希薄になりつつあったときだけに、改めて達さんの本を読んで、そのことに気が付かされたような気がして居ります。

実は私自身、仕事(環境工学の研究なのですけど)とそれを取り巻く環境には疑問を持っていて、来年以降の方向性を決めかねて悩んでいたのです。同じ時期にRachel Carsonの書いた「The sense of wonder」を読んでいるのも、決して偶然ではありません。そして、面白いことに達さんの本、Carsonの本、そして私の考えている研究の方向性が同じであることは決して偶然ではないのです。

私は子どもの感性を信じています。私が自然科学を研究するのは私が内面では子どものままであるからだと思っています。空の流れる雲を眺め、小川の底に住む虫のことを考え、彼らの目でみた世界を理解したいのです。あるがままの、その偉大なる自然の摂理の、その仕組みを知りたいというよりも、感じたいのです。ところが昨今の経済優先の風潮は、当然大学にも浸透しつつあり、どうしてもそれに絡んで政治や騙しあいなどが目に付くようになりました。人間のあさましい側面はいつの時代にも存在し、決して奇麗事だけでは済まされないことは分かっているのですが、一人くらい私のような単純な人間がいても良いのではないか、そう思っていました。しかし、現実とのギャップは小さくなく、教授会などで私の発言は全く無視され続けてきて、いよいよ大学を辞めてまったく別のことをはじめようかとも思っていた矢先だったのです。迷うがために、さまざまな本をむさぼるように読んでいます。

達さんの本を読み、そして自分の言葉で考えると、やはり私はこの場に踏みとどまらなければならないと思い始めました。それは本当は分かっていたことなのですが。私には、自分を慕ってくれる学生たちが居り、その彼らこそが未来を切り開いていくのですね。だから、やはり誰かそう言うことをきちんという人間がいないと駄目なのではないかと思っています。子ども純粋な心、好奇心、物事をあるがままに受け入れる柔軟性、そして何よりも明るさを、そのままで大人になれるようなそんな社会が出来ればなあ、というのが私の方向です。

なにか、独り言と言うかモノローグになってしまいました。

貴方の本を読んで、再度素直な気持ちで、自分を騙さず、正直に生きていこうと思いました。もうしばらく当地で頑張れそうです。有難うございました。   敬具

米光 昇

Noboru Yonemitsu, Ph.D.
Environmental & Ecological Fluid Mechanics
Department of Civil Engineering
The University of British Columbia

追伸: こちらで講演する機会はありますか?旅費や滞在する場所のほか、何か提供出きることがあれば、実現できますか?何か私に出きることがあればどうかお申し付けください。

平成14年3月7日
米光 昇


読み始めて期待以上のおもしろさ!著者の人間性と申しますか、現代の若者にこれほどの人物が存在しているという感動は言葉では言い尽くせないものを心に刻み込まされました。非凡でありながら、普通の人であることを自ら表明しておられる坂本さんの自意識の高貴なる魂は何に譬えるべきなのでしょう。

世界一周の旅が自転車で行われたということなのですが、船で言えばヨット以下?のボートを漕いで5万5,000Kmの航海をしたようなものではないかと、トンチン漢な想像をしています。自転車なら誰でも乗れるし走れますが、それにたいていどこへでも簡単に行けそうです。が、しかし、我らが坂本君は、自転車での旅で自己啓発の旅をし本質的に持ち得る自己資質や能力を掘り起こして、「今を生きる」ことの問いかけを真剣にしていますネ。

それに坂本君という男は「徳」のある人なのだなあと思いました。彼にたずさわる人達が皆いい人達ばかりではありませんか。実際にはそんなことはあり得ないのですが、きっと彼の前に立たされた人達は自然とそうなってしまうのかも知れません。何かしら眼に見えない偉大な力が働いて老若男女すべてが単純素朴に彼の前に出ると本来、人間が自然に備えている善なる資質があふれ出てしまうのでしょう。そういう「徳」を感じました。

だからと言う訳ではありませんが、写真に出て来る人の顔が皆、本当に好い顔をしています。撮影技術もなかなかのモノだと感じ入りましたが、被写体の人物は坂本君と向かい合っている訳だから当然そこには眼には見えない暖かいコミュニケーションがちゃんと成立し、それぞれの「顔」にはその人達の気持ちが表れており、その瞬間をフォーカス出来ているからすばらしい写真集になったのだと思います。この本を最初に手にした時は、写真に眼を奪われてとにかく写真だけを一枚一枚ていねいに見渡しました。鮮明な色彩はまるで作りモノのようなあでやかさで印刷技術が少し気になったのですが、本文を読み進めていくうちに著者の、若者の生命の輝きに触発されて彼の撮影した写真の一枚一枚も同等質、同体、すべては一体化されたモノなのだと納得してしまいました。 

もちろん風景写真にも息を飲むような美しいモノがたくさんありましたが、それらにはもっと大きな画面で見たいと思います。やはり本文と一体化している人間の顔、坂本君御本人の顔も含めて単純で飾らない素朴な顔がまっとうに美しいと感じました。きっと彼が恋したであろうブータンのソナムちゃんなど実物はもっと美しい娘さんであったことだろうとイメージが豊かにふくらみます。坂本君の心象風景も又、美しい!!

ブータンのソナムちゃんで思い出しましたが、同じ「志」を持っていた「渡辺誠司さん」の死に触れたあたりは、彼の持ち前の明るさと楽天的な装いとは別の厳しい一面を覗かせていて、ハッとしました。「ナベさんは運が強く、絶対死なない人だと思っていたので悲しみよりも"いつ何ごとも起こり得る"という現実の厳しさがショックだった。そして僕はその現実を前に『覚悟』という心の装備を新たに加えたのだった。」 一時帰国された時の御両親・両祖父母のことに言及されている章に出て来ます。両親・両祖父母が健在という家族環境の中で愛情に育まれた坂本君が、まちがっていれば自分自身が渡辺さんになっていたかもしれないという恐怖の深渕を対峙するところ・・・

深刻なテーマをサラリと流してはいるけれど、彼にとっては大きなポイントなのでしょうネ。きっと、厳しく孤独な闘いが心の内であったものと推察します。いずれの日にか、彼がそのことを主題にして何かを表現する時が来るでしょう。

平成13年9月18日
京都府  小梶 実


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