うえやまから「ほった。」をご紹介。 

サラリーマン冒険家。
この聞き慣れない職業は、
聞き耳でインタビューをしたこともある
坂本達さんのことである。
給料をもらいながら、冒険をするというのは
一体どういうことなのか。
会社に行かず、冒険しながら給料がもらえるなんて。

坂本達という人は、5年前、ミキハウスの社員として
4年3ヶ月もの有給休暇をもらって
単独で自転車世界一周を果たしたという強者だ。
精神的にも肉体的にも、もちろん強者であるけれど、
おそらく世界最長の有給休暇を会社からいただいた
という意味においてもかなりの強者だろう。

自転車で世界一周した人は他にもいるけど
有給休暇をもらった行ったという人を聞いたことがない。
会社が、社員が、社長が、彼の夢を応援したということだ。
個人の夢を、たくさんの人の夢にしてしまった
というところが、すごいのだ。
(このあたりは前作『やった。』に詳しく書かれています)

しかし、彼は不思議と遠い所にいる人ではない。
成功者としてぼくらと違う世界に生きる人ではなく
ぼくらと同じフィールドにたっている人なのだ。

遠い世界の人が書いた成功体験の本は、
本屋にいけばたくさん並んでいる。
読んでみると確かに面白い。ワクワクする。
自分にもできるんじゃないかと思う。
昔、カンフー映画を見て映画館を出てきたときと
同じ気分にさせられる。
でも、ほとぼりが醒めると、
立っている地点が違うことがわかり
書いてあることが遠い世界のことのように思えてくる。
現実のことではあるけれど、よくできた小説のように思え
ひとつの作品として堪能し終わってしまう。

しかし、彼のスタンスはそうではない。
ぼくらと同じ場所に立ち、
ぼくらと変わらない目線で暮らしている。
乗っている車も、住んでいる所も、食べているものも
ぼくらと何も変わらない。
夢を描き、追いかけ、実現していくことにかけて
かなり熱い人であることは間違いないし、
ぼくらよりも、たくさんの夢をかなえ、
たくさんの人に影響を与えていることは
疑いようのない事実ではあるけれど、
決して遠い存在ではないのだ。

彼がやっていることは、
一時の娯楽として楽しむ英雄伝説のような
現実離れしたことではなく、
普通に暮らしているぼくらでも
いろんな夢を実現できることを
証明してくれていることなのだ。
やればできる、ドキドキするような熱い気持ちで
夢に取り組めば
まわりに応援する人が集まってきて、支えてくれる。
自分ひとりでは届かない高い所にある夢も、
肩車をしてくれる人が増えれば
手が届くことを彼はいろんな体験を通じて教えてくれる。

そして今回、彼が取り組んだ夢は、
旅の途中で病に倒れたギニアの村に
前作『やった。』の印税や支援者からいただいた寄付金で
井戸を掘ることだった。ただ井戸を掘るのではない。
言葉もろくに通じないこの場所で
村人が主体になって
井戸を管理する組織づくりから始めたのだ。

ギニアは世界でも最貧国のなかのひとつに数えられる。
それゆえ、世界各国から援助の手が差し伸べられる。
しかし、それが国民から自主性を奪っていく。
受け身の姿勢になり、
援助されることが当たり前になっている。
井戸を掘っても、
それを管理運営していく村人の気持ちや組織がなければ、
その井戸は使えないものになってしまう。

金銭的な援助だけなら簡単だ。
最も難しいのは援助に慣れてしまった村人の
意識を変えることだった。
その実現に自分の夢を掛けた。
しかし、数々のトラブルに見舞われる。
彼を一番苦しめたのは、
村人たちとの心のズレだった。

『ほった。』のなかで彼はこう書いている。
――――今回(渡航一回目)思いのほか苦労したのは、プロジェクトの主旨を当事者たちに伝えることだった。僕のフランス語と伝達能力に限界があり、シェリフ(自転車の旅の途上、ギニアで倒れたときの命の恩人)にもなかなか理解してもらえず、「必要なことがあれば支援する」が、「必要なことがあれば、プレゼントする」のように受け取られてしまったことだ。――――

一度目に村を訪問したときは、全く信用されなかった。
この村は、他国からの援助で何度も
井戸を掘る計画があったが実現していなかった。
今回もまた結局実現しないだろうと村人は思っていのだろう。
彼を受け入れる気持ちは村人には全くなかった。
二度目の訪問。性懲りもなく、また来たのかと、
村人の冷たい視線を感じたという。
しかし三度目の訪問が、大きな転機となる。
彼を村人が受け入れはじめたのだ。
これまで彼を拒絶していた人々が
どうして受け入れたのだろうか。

『ほった。』より抜粋――――滞在中、イスラム教徒が85パーセントといわれるこの国で、宗教への理解が欠かせないと痛感した出来事があった。これまで見よう見まねで彼らのお祈りの真似をしたことはあったが、今回初めて、手、顔、耳、鼻の穴、頭、足などを水で清めるところからきちんと習ったのだ。コーランも少し覚えて、みんなと一緒にお祈りした。〜中略〜 
お祈りが終わると、みんなに「ありがとう」と言われて、ハッとした。一緒にお祈りをしただけで、みんなの態度がそれまでと違うのだ。さっきまで興味なさそうにしていた男が「君が一緒に祈ってくれることを、世界中のイスラム教徒が祝福している」と、固い握手を求めてくる。通りがかりの人は優しい笑みを浮かべ、子供たちは素直な表情でこっちを見ている。みんなが喜んでくれているのだ。僕は嬉しくなり、後日お祈りのための小冊子を露店で購入してしまった。最初からこうしておけば、このプロジェクトも確実にそしてもっと早く進んでいたかもしれない。
どの国でも、相手の大切にしているものを尊重することで、自分が受け入れられていくことを実感する。挨拶にしても、現地の言葉で挨拶するだけで、それまでつっけんどんだったおばちゃんが乗り合いタクシーの席を詰めてくれたり、マンゴを分けてくれたりする。食事をいただく時には、「ビスミッラーヒ・ラフマーニル・ラヒーム」(慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において)と言うと、みんなニッコリしてくれ、食事もさらにおいしく、さらにありがたく感じられた。――――

村人に受け入れられると、井戸掘りの実現にむけて、
計画は着実にそして想像以上にスムーズに進んでいった。
日本から着た若者が起こした小さな渦が、
しだいに村人の心をとらえ、主体性を芽生えさせ、
自分たちが自分たちの暮らしのために
井戸を掘るという意識を目覚めさせた。
井戸の管理費は村人が自分たちのお金を出し合うことになり
貧しいはずの人たちのなかから、たくさんのお金が集まった。
そして、井戸は完成した。

ギニアに井戸を掘るために初めて訪問してから
ほぼ2年の歳月を費やした大きなプロジェクトだった。

いろんなことがあればあるほど、
サクセスストーリーには、厚みが出てくる。
物語の厚みは、自分の心の豊かさに比例する。
夢につながるすべての経験が自分の物語に
素晴らしいページを増やし、
それが周りの人にもいい影響を与える。

サクセスストーリーは、
本やテレビや映画のなかのことだけじゃない。
身近なことのなかに潜む自分の夢を実現することも
立派なサクセスストーリーではないだろうか。
夢を見よう、夢を語ろう、夢をかなえにでかけよう。
そのとき『ほった。』は夢の実現を楽しむ
貴重なバイブルとなるはずだ。

達さんはいう。
「この本には、夢を実現するための答えはないけど、
ヒントは必ずある」と。
ぞれぞれの人が、それぞれの局面で
使えるヒントが必ずある、と。

夢はあるけど、いま一歩踏み込めない人。
夢を追っかけているけどうまくいっていない人。
夢を持ちたいけど見つからない人。

そんな人は、是非、一度手にとってみて、
この本を読んで見てほしい。
必ずヒントがあるはずだ。
何度もいうが、この本は、
遠いところに住む人が書いた夢物語ではない。
あなたと同じ場所にたっている人が実現し書いた本なのだ。

ここまで、読んでくれた人は、
きっと夢について興味がある人だろうと思う。
そして『ほった。』に巡りにあうのも
偶然ではなく必然なのかもしれない。
物事は最高のタイミングで巡りあう。という言葉がある。
それを知ったとき、心が動いたときが、
ベストのタイミングである、ということだ。

坂本達が贈る夢のバイブル『ほった。』
友だちに借りてでもいいから、
一度は読んでみてほしい本である。
そして、自分の夢を持ち、
実現することができた人が一人でも増えれば
達さんを支援するぼくとしても何よりも嬉しい。

 
ほった。
フォトエッセイ「やった。」
文庫本「 やった。」